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      <title>農家紹介</title>
      <link>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/</link>
      <description>ＪＡおきなわファーマーズの農家紹介はこちらから</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
      <lastBuildDate>Mon, 23 Jul 2007 15:49:14 +0900</lastBuildDate>
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      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

            <item>
         <title>赤嶺　智英</title>
         <description><![CDATA[<div class="info_cel3">近所農家とのゆんたくで問題を解決するんです</div>
<p><span class="info-sp">人なつっこい研究肌。農業仲間たちからも先見の眼があるというお墨付き。</span><br />
ひと言、マンゴーのことを話しかけると、二つも三つも答えを返してくれる気さくな達人。<br />
技術的なことになると、さらに熱心な話しぶりになった。<br />
弟と二人でかきいれ時の５月末から７月いっぱいまでは休む暇のないほどの忙しさである。<br />
きゃしゃな体格にもかかわらずマンゴーづくりにエネルギーをかたむける毎日だ。</p>
<h4 class="info-t">過去の経験だけで、うまくいくとは限らんさあね。</h4>
<p>ようやく梅雨明けを迎え、地方によっては30度を越えた6月20日。<br />
取材班は、豊見城市は保栄茂赤平原のマンゴー園をたずねた。<br />
糸満街道をロータリー向けに左に入った、緑豊かな農園地帯。<br />
今回の達人は、豊見城はもちろん南部でマンゴーをつくらせたら横綱級のひとりと言われる赤嶺知英さん(51歳)。<br />
共同経営の弟・彰一(48歳)と二人で、夕方の出荷に向けた作業で額に汗しながらインタビューに応えてくれた。<br />
約700坪。１日、200～300キロの出荷を弟と二人でこなす。<br />
今年で18年になる。</p>
<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/mn1.jpg" alt="マンゴーの赤嶺さん1" width="232" height="150" class="info-pimg" /><span class="info-sp">「これから２週間ほどが出荷のピークです。<br />
休んでいる暇はないですよ」</span><br />
赤嶺さんは、光る汗をインタビューに答えながら、何度も拭った。<br />
畑は、渡嘉敷区にもあるというから往復だけでも大変だ。<br />
ハウスのなかは、栽培に適温と言われる約23℃前後ある、日中、働くものにとっては、けっこうな暑さである。</p>
<p><span class="info-sp">「ハウスのなかは暑いですから外にでましょう。」</span><br />
やさしい気遣いで、取材班を木陰に案内してくれた。<br />
とにかく理論的で仕事に厳しい人。<br />
先見の眼があるというのは、農家仲間たちの一致した弁。<br />
「害虫にしても毎年、見たこともない種類が来る。<br /><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/mn2.jpg" alt="マンゴーの赤嶺さん2" width="95" height="120" class="info-pimg2" />
近所の農業仲間とゆんたくしながら、いつも新しい状況に自分たちで対応するように勉強するんです。過去の経験だけで、すべてうまく行くとは限りません」と話す。<br />
マンゴーの色付けや糖度、蜜蜂の交配などについても、いろんな角度から研究工夫を惜しまない。<br />
赤嶺さんは、商科系の大学を出て農業に打ち込んでいる。<br />
理論的な経営をしているのは、大学で培った勉強のおかげだろう。<br />
カメラマンが笑ってくださいというと、マンゴー経営のことを考えると「笑ってもいられない」と冗談が返ってきた。</p>]]></description>
         <link>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/002/akamine.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">002)果物</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 23 Jul 2007 15:49:14 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>金城　晃</title>
         <description><![CDATA[<div class="info_cel3">農業を世界のかけ橋に！</div>
<p><span class="info-sp">農業の素晴らしさを、伝えたい。</span><br />
小さい頃は、家の農業の手伝いが大嫌いなサッカー熱中少年。ところが学校を卒業して外国で農業の勉強をしていくうちに、作物への愛着は人生になくてはならないものになった。皆が幸せになる農業を目指して、若き達人は今日も農園に出かける。</p>

<h4 class="info-t">作物が生長していくのを見ていると、時間も忘れるんですよ。</h4>
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/ps-kin1.jpg" alt="パッションフルーツの金城さん1" width="169" height="105" class="info-pimg" /><p>清明入りの頃の4月4日、さまざまな花々が咲き始めるうららかな日、糸満市摩文仁にあるパッションフルーツ園。<br />
園主は、33歳の金城晃さん。<br />
今年でまだ3年にしかならないというのに、600坪の畑で単収2トンの収穫をあげている青年だ。<br />
今後、単収4トンまで引き上げていくのが目標だという。<br />
このパッションフルーツ、南米原産だが、この果物に取り組んだのは、金城さんの特別な思いがあった。<br />
実は、金城さんは、南米ボリビア生まれ、両親ともにウチナーンチュだが、24年前に家族で引き上げてきた。<br />
そのとき、金城さんはまだ6歳、男だけの5人兄弟の次男。<br />
生まれた地ボリビアの果物をなんとか沖縄に根づかせたいという熱意が、パッションフルーツに取り組む直接のきっかけとなった。</p>
<p><span class="info-sp">「実は、子どものころは農業は好きではありませんでした。<br />家の手伝いのために大好きなサッカーもできませんでしたからね」</span><br /><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/ps-kin2.jpg" alt="パッションフルーツの金城さん2" width="115" height="132" class="info-pimg2" />
しかし、引き上げ直後から糸満市でマンゴー栽培を始め20数年で1,600坪まで規模を大きくしてきた父親の背中をみているうちに、いつのまにか農林高校・農業大学へ。<br />
両親や親戚からも農業も道を進められていたのだが、反発心もあって一時はガソリンスタンドへ就職。<br />
ところが、やはり農業のことは頭から離れず、青年開発隊のプロジェクトで、ミクロネシアへ。<br />
しかし、そこで自分の農業技術の未熟さを痛感。<br />
次は水耕栽培や有機栽培が盛んなオランダへ。<br />
その経験を経て、沖縄に帰ってからは次第に農業への見方が変った。<br />
時間をみては先進地を見て回り、自分にできる農業プランを考え始めた。<br />
これが、パッションフルーツへの道を開いたという。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/ps-kin3.jpg" alt="パッションフルーツの金城さん3" width="202" height="143" class="info-pimg" />「今は、農業が楽しくてしようがない。<br />
20代は数多く海外へ行っていろんなことを、がむしゃらにやってきたけど、30代はじっくり沖縄の地で頑張りたいと思う」</p>
<p><span class="info-sp">金城さんはあまり多くを語らないが、その穏やかな話ぶりは、真面目な青年そのもの。<br />
パッションフルーツづくりにも、熱心な取り組みがうかがえる。</span><br />
「パッションフルーツの苗が次第に成長していくのを見ていると、時間も忘れるぐらいです。つるや実をみていると、毎日それぞれに表情が違います。<br />
その成長ぐあいを微妙にキャッチし、土づくり・肥培管理・灌水などで手をかけていく。<br />
この過程が、とても楽しいんですよ」<br />
農業の楽しさを教えてくれたのは、JAおきなわ糸満支店青壮年部の栽培勉強会だった。
技術の勉強もそうだが、先輩たちや仲間に囲まれての絆の深さは、今ではなくてはならない存在だという。<br />
栽培勉強会では、沖縄の先人たちが残してくれた昔ながらの知恵を取り入れている。
月の満ち欠けで成長をうながす月齢管理は、作物を生き物として感じることで、より身近に感じるという。</p>
<p>土づくりでは<a href="http://www.ja-okinawa-fm.net/choice/tuti.html">『土ごと発酵』</a>に取り組んでいる。<br />
土をより自然の状態に近くしていき、土のなかの微生物を栽培の大きな助けにするという、昔ながらの先人たちの技術・知恵をみんなで勉強している。<br />
ちなみに、これでほとんど農薬が必要なくなったという。<br /><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/ps-kin4.jpg" alt="パッションフルーツの金城さん4" width="193" height="162" class="info-pimg2" />
今後は、キュウリやゴーヤーにも挑戦していきたいと胸を弾ませる金城さんだ。<br />
「ぼくのつくったパッションフルーツは、酸味・香り・色付ともに最高ですよ。<br />
ぜひ、みなさんで食べて下さいね」<br />
これまで熱心に栽培に取り組んできた自信が金城さんの顔に浮かんだ。<br />
「ぼくの夢は、もっと農業の技術と知識を身につけて、もう１回ミクロネシアに行くこと。<br />
そのとき、20代前半で伝えきれなかった農業の素晴らしさを、現地の人たちに教えにいくんです」<br />
次第に栽培技術に自信をつけてきた金城さんは、静かに笑った。<br />
「それから、ボリビアにも出かけて、技術指導にも行きたいな」<br />
農業を世界のかけ橋にしようと、今や農業熱中青年になった金城さんだ。</p>]]></description>
         <link>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/002/ps.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">002)果物</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 22 Jul 2007 15:14:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>仲里　文吉</title>
         <description><![CDATA[<div class="info_cel3">「緑のダイヤ」ひと筋30年。</div>
<p><span class="info-sp">人を育てるような気持ちがないといいカボチャはできんよ。</span><br />
30年間休みなしにカボチャづくりに精魂を傾けてきた仕事人、仲里文吉さん。<br />
恥ずかしがりで口べたという達人はカボチャの話になると、真剣な表情そのもの。<br />
仲里さんのカボチャづくりは、頑固一徹、妥協を許さない。</p>

<h4 class="info-t">カボチャは生き物だから、気を抜いたらだめさ～。</h4>
<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/kabotya1.jpg" alt="カボチャの仲里さん1" width="117" height="180" class="info-pimg2" />彼岸もまじかに迫った3月の中旬、曇り模様の空から雨が風に流され落ちて来た。<br />
1000坪のカボチャ畑でインタビュー予定の仲里文吉さん（73歳）・キヨさん（70歳）が姿を現さない。<br />
口べたの文吉さんは、雨を理由にインタビュー中止を決め込んでいたのだ。<br />
それでも、カボチャの話と聞いて駆けつけてくれた。<br />
インタビューは急きょ出荷場へ。<br />
30年間休みなしにカボチャづくりに精魂を傾けてきた達人は、カボチャの話になると口べたもなんのその、人に愛情を注ぐような育て方を披露してくれた。</p>
<div class="clr"><hr /></div>
<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/kabotya2.jpg" alt="カボチャの仲里さん2" width="157" height="151" class="info-pimg2" /><span class="info-sp">「金をかけるのは、立派なカボチャをつくりたいから。<br />
うっかりしていると、虫にやられたりするからね。<br />
仕事を明日に伸ばそうなんてもってのほか、カボチャは生きものだから、いつも気を抜いてはだめだよ」</span><br />
病害虫対策にはとくに神経をつかう。<br />
毎年、同じ虫がつくとは限らない。<br />
今年はウドンコ病、去年はアブラ虫などと病害虫がカボチャたちに襲いかかる。<br />
害虫や風を防ぐために広大な畑の周囲には２メートル以上もある網を張り巡らす。<br />
一旦、やられると断然収穫が減り、苦労が水の泡。<br />
辛い思いは何回も。</p>

<p><span class="info-sp">「一番に大事なことは収穫するまで葉っぱを残すことさあ。<br />
葉っぱの張り具合がしっかりしてないと、虫がつきやすくなるからね」</span><br />
色具合も気を抜かない。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/kabotya3.jpg" alt="カボチャの仲里さん3" width="200" height="137" class="info-pimg" />日照が強くなると、カボチャが焼けないように新聞紙を畑に持ち込み１個１個包み始める。<br />
黒みを失うと出荷先では商品として歓迎されない。<br />
カボチャにシートを敷くのも日差しの反射を調節して底に色がつかないためだ。<br />
「人を育てるようなものだよ。<br />
そんな気持ちがないといいカボチャはできんよ」<br />
日頃は口数が少ない文吉さんが、達人と呼ぶにふさわしい表情で笑った。</p>]]></description>
         <link>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/001/nakazato.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">001)野菜</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 09 Jul 2007 18:03:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>恩納　謙勝</title>
         <description><![CDATA[<div class="info_cel3">津堅はニンジンの宝島。</div>
<p><span class="info-sp">島を支え、島に支えられる。これからもっと頑張らんとね～</span><br />
もの静かで温和な性格だが、津堅島の過去と未来についての話になると真剣な表情に変る達人。<br />
島の農業後継者が心配だと言いながら、息子は父親の背中を見ながら、<br />日々ニンジンづくりに汗を流している。<br />
「いつまでもおいしいニンジンづくりができる島にしていきたい」と胸を張る地域のリーダーが、<br />今回の達人だ。</p>

<h4 class="info-t">島のニンジンがおいしいわけを話そうね。</h4>
<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/ninzin1.jpg" alt="ニンジンの恩納さん1" width="200" height="128" class="info-pimg" />昼が1番短い日となる冬至から3日過ぎたクリスマスの日。<br />
横風も荒ぶ朝の小雨のなか、人気も少ないうるま市平敷屋港にたどり着いた。<br />
出港の準備を整えた定期船は、一路、津堅島へ。<br />
ニンジン拠点産地で知られる津堅島に、押しも押されぬニンジンの達人がいると耳にしたからだ。<br />
しかし、最初に迎えたのは、船の縦揺れ。<br />
たたきつける波でガラス窓がガタガタ音をたてる。<br />
すっかり船酔い気分で着いたのが津堅港。<br />
その足で達人が待つ公民館へ。<br />
そこで含蓄のある話しぶりで船酔いを振り払ってくれたのが、今月登場の達人、恩納謙勝（おんなけんしょう）さん（60歳）だ。</p>

<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/ninzin2.jpg" alt="ニンジンの恩納さん2" width="137" height="180" class="info-pimg2" />達人は津堅生まれ津堅育ち。<br />
生粋の津堅人だ。<br />
津堅人と言えば漁業で活躍する海の男たちで有名だが、恩納さんが気性の激しい豪快な男という意味ではない。<br />
むしろ、もの静かで穏やかな人柄。<br />
ところが話し出すと、津堅島の農業の歴史、栽培技術、ニンジン生産の専門的な話など、話題にはこと欠かない。<br />
3歳の頃、父を失い、その後ずっと、この島で粘り強く母を助けて農漁業を続けてきたという。<br />
ひしひしと伝わる人間力。<br />
達人は今、津堅島ニンジン部会（47名）の副会長を務めている。<br />
真面目な性格で地域の人々にも信頼は厚い。<br />
あしかけ25年に及ぶ、達人のニンジンづくり。<br />
現在、妻のハツエさんと息子の謙太さんとともに、毎日畑（6000坪）に出ている。<br />
年間40～50トンの生産量をこなす頑張り家族だ。<br />
2、3年内には、島にまだ残る有休地をニンジン畑にし、一畦を一斉堀りできる振動堀取り機を導入して年間60～70トンの増収を見込んでいる。</p>

<p>「津堅島のニンジンがおいしいわけは、いろいろあるよ」<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/ninzin3.jpg" alt="ニンジンの恩納さん3" width="200" height="138" class="info-pimg2" />恩納さんは温和な顔をほころばせながら、ニンジンについていろいろ話し始めた。<br />
「まず、島のニンジンがとくに甘いといわれるのは、島尻マージと砂地が適度に混合されて質の高い土壌になっているんだよ。<br />
それに、昔から島は水はけがいいからね」<br />
恩納さんは、津堅島のニンジンが甘い理由をこう説明した。<br />
「それからね、津堅島のニンジンは臭みがないとも言われているけど、それは海に囲まれた島だから、ミネラルが土壌に豊富に含まれているわけさあ」<br />
このミネラルが臭みを防ぎ、栄養価も高くしているというのだ。</p>

<p>しかし、ニンジンづくりの基本はなんと言っても、土づくりにあると達人は強調する。<br />
堆肥を中心に鶏糞を入れていう根気のいる作業も忘れない。<br />
連作障害が起らないようにソルゴーやクロタラリアの播種にも気を配る。<br />
島の土壌が、いかにいいといっても日々の努力を惜しまないのが達人たるゆえんである。<br />
これまで自分が頑張ってこれたのは、島に支えられ、島を離れてきたことを実感してきたからだと、達人が話してくれた。<br />
達人の話によれば、ここ津堅島は紙の島・久高島と共に王府時代につけられ、両島には同じ地名も多いという。<br />
ちなみに久高島のことを母島、津堅島のことを父島と古くから呼んでいるらしい。<br />
二つの島が王府に注目されていたことは間違いないようだ。<br />
とくに津堅島は農産物への期待が大きく、往時の三司官である蔡温も視察に訪れた記憶がある。<br />
また、復帰前まで津堅島は、米軍指定の野菜供給地であった。<br />
当時は大根、スイカ、メロンの生産が有名であったという。<br />
そう言えば、チキンデークニという呼び名を、今でも聞くことがある。</p>

<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/ninzin4.jpg" alt="ニンジンの恩納さん4" width="176" height="150" class="info-pimg" />「土がいいから、ニンジンづくりにとくに苦労はしないけど、あえて心配の種を言えば、台風ばっかりは命を縮めるよ。それに、島の農業の老齢化が進んでいることだね」<br />
さすがに、島の地形が平地でできているだけに台風ばかりは油断ならないという。<br />
ニンジン部会では防風林対策も以前から進められているという。<br />
後継者が危ぶまれる高齢化については、幸い少しずつＵターンも増えており、自分たちニンジン部会も頑張らねばと、目を輝かせ真剣な表情をみせた。<br />
「島の利益をどうしていくか。これからもっと島のために頑張らんとね～」<br />
達人は温和な顔に厳しさを感じさせながらも、やさしく微笑んでくれた。</p>]]></description>
         <link>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/001/onna.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">001)野菜</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 09 Jul 2007 17:58:19 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>牧門　高夫</title>
         <description><![CDATA[<div class="info_cel3">少しずつでも安定収入だから頑張れるさあ。<br />
オクラも積もれば山となるだよ。</div>
<p><span class="info-sp">地域の農業振興を常に提案・実践する心やさしきリーダータイプ。</span><br />
笑い声がたえまなく畑に響きわたる、オクラ農家のご夫婦。<br />
それでも、仕事の真面目さは人一倍。熱心そのもの。<br />
台風などの災害や経営難も幾度かあった。<br />
明るく笑顔を絶やさず農作物生産に取り組んできた15年の歳月が、<br />現在の安定収入の農家をつくりあげてきた。</p>

<h4 class="info-t">地域の仲間たちと刺激しあいながら楽しくやってるよ。</h4>
<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/okura1.jpg" alt="オクラの徳里さん1" width="149" height="200" class="info-pimg2" />大暑の前日で猛暑の真夏日。<br />
ここは勝連城のお膝元、うるま市南風原地区。<br />
勝連は中部のオクラ生産の6割を占め、その中でも、南風原地区は半分を生産する。<br />
4月から12月まで続く収穫も、今ほぼ中間期。<br />
取材班が畑に到着した時は、農家のみなさんも朝6時から始まった収穫で一汗も二汗もかいてのナカユクイ。<br />
辺りには35所帯の農家がある。<br />
みなさん顔なじみで、畑に誰か来ていないとすぐに分かるという。<br />
お互い情報を提供しあい生産向上につなげるオクラ仲間たちだ。</p>

<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/okura2.jpg" alt="オクラの徳里さん2" width="124" height="180" class="info-pimg" />そこで今回登場する達人は、牧門高夫さん(53歳）と奥さんの百合子さん。<br />
子ども4人の愉快な6人家族だ。<br />
高夫さんは地区でも評判のリーダー格。<br />
収穫もトップクラス。<br />
収穫を早めるためのハウス導入も率先した。<br />
うるま市は2005年に県のオクラ拠点産地に認定された。<br />
地域のみなさんがこれまでオクラ生産に真剣に取り組み、牧門さんも5年前からスタートした。<br />
牧門さんは、当初500坪余りの畑をきりもりし、ピーク時には睡眠時間3時間という忙しい時もあった。<br />
今は、350坪の畑で安定した生産に向けて夫婦で忙しい毎日。<br />
オクラ以外にも葉野菜をつくっているが、これは百合子さんのマチヤグヮーに並べる分。<br />
オクラの収穫期は朝と夕方に収穫し、夜は選別とネット詰めで猫の手も借りたいほど。<br />
1日2～3センチも伸びることから、その日に収穫しないと規格から外れ商品価値が落ちてしまう。<br />
雨の日も風の日も休むなんて言っていられない。</p>

<p>収穫は年間約3トン。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/okura4.jpg" alt="オクラの徳里さん3" width="166" height="146" class="info-pimg2" />2年前には4トンの収穫を果たし、1000ケースも出荷した。<br />
「オクラは収穫期が9ヶ月もあるからね、<br />
多くはないけど長い期間安定した収入になるよ。<br />
オクラも積もれば山となるだよ。あっはは」<br />
以前、メロンやスイカにも取り組んだが、台風に苦労させられた。<br />
オクラに切り替えたのは夏場でも露地に強いこと、台風で被害を受けても2週間あれば芽を出すこと。<br />
クチャにジャーガルが混じった土壌もオクラに最適。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/okura3.jpg" alt="オクラの徳里さん4" width="200" height="141" class="info-pimg" />しかし、本土出荷は商品価値を落とさないように気も遣う。<br />
現在、強風でオクラに傷がつかないように風よけネットの設備を考えている。<br />
そんな矢先、カメラマンが脚立から落ち、取材班はオクラに傷がつかなかったか目を丸くした。<br />
しかし畑に響いたのは夫婦の笑い声。<br />
叱られるどころか、おまけに採れたてのオクラをおみやげに差し出してくれた。
真面目で朗らか、そして優しい達人夫婦である。</p>]]></description>
         <link>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/001/maki.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">001)野菜</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 09 Jul 2007 17:08:04 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>徳里 政恒</title>
         <description><![CDATA[<div class="info_cel3">希望のある農業を子どもたちにつなげたいさあ。</div>
<p><span class="info-sp">明日、また”あまＳＵＮ”に会える。それが楽しみだね。</span><br />
早朝の暗い時刻に出かけ、夕方の遅い時間に帰る毎日。<br />
徳里さんは、みかんにこだわり続けて雨の日も風の日も30年も農園に通い続けた。<br />
そのエネルギーは、と聞いたら即座に<br />
「息子たちが、この仕事で生活できるようになってほしい」と答えてくれた。<br />
今回は、家族のために頑張り続ける、笑顔が素敵なほのぼの達人を紹介。</p>

<h4 class="info-t">10年間”あまＳＵＮ”で頑張ってきた。これからもっと楽しみさあ。</h4>
<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/amasun1.jpg" alt="あまＳＵＮの徳里さん1" width="181" height="129" class="info-pimg" />朝夕、冷たい風が吹き始めた立冬も過ぎた頃。<br />
それでも柔らかい陽射しが心地よい11月初旬。<br />
石川と仲泊を結ぶ県道73号線を途中から石川岳に向かうように北側の農道に入る。<br />
うるま市石川の西山原の農園地帯に、みかんづくりに精を出す、ほのぼの達人がいた。<br />
徳里政恒（せいこう）さん（68歳）。<br />
みるからに温和な人柄がにじみ出る人である。<br />
インタビューを始めましょうと切り出すと、そこいらから取材スタッフの椅子を捜しまわる。<br />
ごちそうになったコーヒーの空き缶を持っていったら、すかさず塵箱まで捨ててくれる。<br />
セイコウという名前の漢字を教えて下さいというと、赤々と色づく国頭マージの上に指で漢字を書き始めた。<br />
心のそこから温かい人である。</p>

<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/amasun2.jpg" alt="あまＳＵＮの徳里さん2" width="200" height="124" class="info-pimg2" />そんな徳里さんの農業に向ける迫力は尋常ではない。<br />
農業を始めて30年。<br />
あまＳＵＮに取り組んでからは、10年になる。<br />
あまＳＵＮは、品種を「天草」と言い、その深い甘味で人気を博している柑橘ブランド名。<br />
徳里さんの農園は2200坪、タンカン、レモンなどで700坪、全面積合わせて3000坪近くになる。<br />
最近は、あまＳＵＮで年8トンほどの収穫を確実にあげている。<br />
ちなみに、あまＳＵＮと言えば、中部と北部の生産量が、それぞれ30トンほどで、沖縄のあまＳＵＮ生産量は約60トン。<br />
そのうち徳里さんの農園が実に13%を生産していることになる。<br />
県内のあまＳＵＮ生産農家が77戸ほどというから、徳里さんの実績は注目に値する。</p>

<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/amasun3.jpg" alt="あまＳＵＮの徳里さん3" width="160" height="111" class="info-pimg" />あまＳＵＮは12月が収穫期。<br />
この時期が家族総出の繁忙期となるが、徳里さんが一番幸せを感じる時でもある。<br />
そしてこの幸せを息子たちに伝えるのが、自分の仕事であり夢だという。<br />
「自分が引退しても、将来、息子たちが”あまＳＵＮ”で安定収入を得ることが希望。<br />
これまでは、このみかんを始めて基礎づくりの10年だったが、最近少しずつ安定してきた。<br />
これからはもっと楽しみだよ」<br />
農園の仕事を手伝ってくれているのは、次男政和さんと三男政信さん。<br />
徳里さんは、いつも息子たちの未来が開けていくことを夢見て仕事に精を出してきた。</p>

<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/amasun4.jpg" alt="あまＳＵＮの徳里さん4" width="200" height="128" class="info-pimg" />「趣味はとくにないさあ。<br />
お酒も付き合い程度でね。<br />
飲み過ぎて、農園に1日でも行けなくなったら大変さあ。」<br />
実に真面目で、子ども思いの父親である。<br />
最近は持病の腰痛も気になるが、毎日の作業を休むことはめったにない。<br />
徳里さんの農園に足を運んでまず驚くのは、平張り網掛ハウスを取り巻く8mから10mもある迫力で立ち並ぶ樹木たち。<br />
チャーギ、ソウシジュなどが農園に緑のフェンスを張り巡らしたように彩りを添える。
「あまＳＵＮづくりで1番気を遣うのは、台風。<br />
ここは石川でも高台になっているからね。<br />
その暴風を避けるために、以前の畑にあった樹木たちを防風林として移植したんだよ」<br />
徳里さんのあまＳＵＮづくりに賭ける熱意は樹木の大移植もこなすほど。<br />
なるほど半端じゃなかった。</p>

<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/amasun5.jpg" alt="あまＳＵＮの徳里さん5" width="200" height="132" class="info-pimg" />他にもみかんづくりの苦労は山ほどある。<br />
防風林にしても、みかんに採光は欠かせないから、剪定も定期的な大作業。<br />
糖度を高めるために、農園にはタイベックマルチという陽光を反射させる白いシートを敷き光を受けるようにする。<br />
吊り棚を利用した果実の吊り上げも採光の工夫で、甘味と着色を出すものだが、土から発生する雑菌から距離を保つ目的もある。<br />
またダニなどの害虫駆除にも気を遣う。<br />
奥さんの細かい気配りもあり、土づくりには特に力を入れ、肥培管理は手を抜かない。<br />
「あまＳＵＮづくりは、人一倍苦労は多いよ。<br />
でも、このみかんは、とても甘いさあ。<br />
孫たちもみんなとりこだよ。」<br />
徳里さんが優しい笑顔でうなずき、あまＳＵＮに懸けるひたむきな想いを語った。</p>]]></description>
         <link>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/002/tokusato.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">002)果物</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 09 Jul 2007 16:52:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>新里 栄勇</title>
         <description><![CDATA[<div class="info_cel3">久米島の愛情牧場。</div>
<p><span class="info-sp">台風の時は真っ暗で牛に会いにいけない。それが何よりもつらい。</span><br />
もの静かで大げさに話さない人である。
まして自分を自慢することはない。
ところが、話を聞いていくうちに、達人は日本畜産界でも慣れた実績が認められている達人だった。会合が毎晩続く毎日。
長家は好きだが、手塩にかけた牛にはそれ以上の愛情を込める。今回は、牛にぞっこん惚れ込んだ達人が登場。</p>

<h4 class="info-t">牛の言葉がわかるんですよ。</h4>
<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/usi4.jpg" alt="畜産の新里さん1" width="123" height="84" class="info-pimg" />久米島の海を360度見渡せる標高309メートルの宇江城岳の中腹、字上阿嘉に今回の達人が経営する10ヘクタールの牧場があった。<br />
周り一面の緑のじゅうたん。<br />
遠くには、湖面きらめく白瀬ダムや上江洲ダム。<br />
この素晴らしい環境で牛を育てている主は、新里栄勇さん（61歳）。<br />
そして、頼もしい相方、奥さんの悦子さん（60歳）が寄り添う。</p>

<p>久米島区長会上阿嘉区長、久米島町和牛改良組合長、沖縄県家畜改良協会理事。<br />
新里さんの名刺には肩書きがいくつも並ぶ。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/usi3.jpg" alt="畜産の新里さん2" width="114" height="155" class="info-pimg2" />毎晩と言っていいほど会合に出席している多忙な人である。<br />
本土出張も少なくない。<br />
この忙しいなかを好きな牛の成育に打ち込む。<br />
一方、悦子さんも多忙な人。<br />
牛の世話の合間を縫って、昼間は伝統の久米島紬を織る。<br />
新里さんは、この道22年のベテランである。<br />
父親の畜産業を継ぎ拡大させた。<br />
一日じゅう牛の細かい動作に気を配り、かかりっきりで仕事に精を出す。<br />
カラスの糞には特に気をつかう。<br />
牧草にまぎれそれを食べた牛が下痢をする。<br />
カラスの監視のためにも簡単に牛のそばを離れるわけにはいかない。<br />
牧草の搬入、餌やり、畜舎の掃除、牛の散歩など、とにかく忙しい。</p>

<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/usi5.jpg" alt="畜産の新里さん3" width="184" height="119" class="info-pimg2" />二人は意見の違いをはっきり言う仲。<br />
牛のことを知り抜いている夫婦で、仕事をどんどん片づける名コンビ。<br />
取材班が写真撮影の時である。<br />
撮影のために見栄えのいい成牛と子牛を並べると、子牛がぐずり、その場で寝転んだ。<br />
「父さん、やっぱりほんとの親子じゃないとダメですよ」<br />
と悦子さんが寂しそうな顔でつぶやく。<br />
栄勇さんも心配そうにうなずき、子牛に目をやる。<br />
すぐに母牛を連れてきて本物の親子で撮影が成功した。<br />
牛へのひとかたならぬ愛情を寄せる新里さん夫婦。<br />
まさに人と牛の愛情牧場であった。</p>

<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/usi6.jpg" alt="畜産の新里さん4" width="187" height="125" class="info-pimg" />久米島の和牛は、最近、新里さんたちが中心となって改良を進めてきた成果が認められ、全国でも注目を浴びている。<br />
久米島の大自然という環境と農家の人々の研究熱心さが実を結んでいるようだ。<br />
3種ある牧草のうちの1種は久米島従来の牧草。<br />
達人の牧場の土壌は島尻マージでＰＨは低いが、牧草の成育に対応できるようにした。<br />
久米島和牛の中心は、子牛の生産。<br />
セリ市は、2ヶ月に1度開催され、本土から訪れる購買者のために自慢の子牛を出荷する。</p>

<p>現在、新里さんは母牛40頭、育成牛6頭をかかえている。<br />
子牛が生まれると7～10ヶ月の間に出荷する。<br />
2～3年内には畜舎などの整備をし、母牛50頭の飼育を計画している。<br />
繁殖用（育成用）の牛は、毎年6頭を維持していくことが目標。<br />
この育成牛を母牛に育てていく。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/usi1.jpg" alt="畜産の新里さん5" width="236" height="120" class="info-pimg" />新里さんは牛の調教術にも詳しい。<br />
和牛のオリンピックと称される「全国和牛能力共進会」の第2回大会と第7回大会で2度も優等賞の栄冠に輝いている。<br />
これは全国でも珍しい快挙。<br />
家畜経営部門では独自のノウハウを発表。<br />
九州大会で優勝、全国大会準優勝に輝く。<br />
「全国和牛能力共進会」に出場させる牛は、万全の準備のために腕によりをかけて、1年前から調教を始める。<br />
手綱さばきはもちろんだが、運動させる時の手綱の長さ、また体重が増えすぎないように微妙に牧草の量を調節する。<br />
牛との繊細な心の通い合いがないと調教はできない。<br />
1年かけて、さまざまな調教をしているうちに、牛に情が移り、牛が何を考えているのかわかるようになるという。</p>

<p>「牛の言葉がなんとなくわかるんですよ」<br />
優等賞をとった「はづき号」の手綱をさばきながら新里さんが牛に優しい眼差しを送った。</p>]]></description>
         <link>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/003/sinzato.html</link>
         <guid>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/003/sinzato.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">003)その他</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 09 Jul 2007 16:48:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>田畑健蔵/新田真佐樹/呉屋武嗣</title>
         <description><![CDATA[<div class="info_cel3">ピーマン王国を目指して。</div>
<p><span class="info-sp">言葉は少ないんですが、心がよく通じるんですわ。</span><br />
40代、50代、60代のそれぞれの世代が南部佐敷の農園に集結。<br />
世代が違うから争うというより、相手ができないことに精一杯手を貸す。<br />
その共同作業が「良質ピーマン」の生産で高い評価を得ている。<br />
沖縄では必ずしも容易ではないというピーマンづくりの壁を跳ね返すべく、今日も男3人、今日も男3人、「ピーマン王国」を目指す。</p>

<h4 class="info-t">ピーマンづくりは、まるでドラマみたいだよ。</h4>
<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/pm1.jpg" alt="ピーマンの田畑さん1" width="116" height="100" class="info-pimg" />与那原十字路を佐敷向けに車を走らせ、新里ビラの手前で右に入ると、そこはいつのまにか畑の森。<br />
この一画に今回登場の達人たちのハウス群があった。<br />
南城市佐敷小谷（おこく）。<br />
イスラエル製の資材を使ったハウスが9棟、1800坪に堂々と並ぶ。<br />
1人600坪の割当で共同作業による中型ピーマン生産を行い、今、南部地域で注目されている3人組だ。<br />
目標生産額の年間1人25トンに迫る勢いで関係者から期待が寄せられている。<br />
取材に訪れた9月下旬は、来年6月まで続く農繁期直前の頃。<br />
もう2～3週間すると、苗が人の身長ほどになり、たわわに実るピーマンの収穫が始まる。<br />
来年の夏前までは50日周期で収穫に追われる。</p>

<p><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/pm2.jpg" alt="ピーマンの田畑さん2" width="120" height="158" class="info-pimg2" />8年前、組合を結成。<br />
同地域にしっかりした根を張るために、補助事業を受け懸命に頑張ってきた。<br />
現在のメンバーは田畑健蔵さん(60歳）、新田真佐樹さん(52歳）、呉屋武嗣さん(45歳）。<br />
バランスよく40代、50代、60代と並んだのが不思議と本人たちも笑う。<br />
三人寄れば文殊の知恵。<br />
ことわざ通り、それぞれの個性を発揮し、沖縄の気候に必ずしも良好ではないと言われてきたピーマンづくりの幾多の障害を乗り越えてきた。<br />
ようやく今、周りからも次第に評価されるようになった。<br />
最年長の田畑さんは、神戸育ち。<br />
震災が起る前年に沖縄に移住してきた。<br />
故郷では建設業に従事していたため、ハウス建造物の修理や管理は一手に引き受けている。<br />
沖縄で農業を始めて10年目、そろそろ野菜づくりがわかりかけてきたという。</p>

<p><span class="info-sp">「ウチナーンチュより、黒いんですわ。あっはは」</span><br />
物腰の柔らかい話しぶりの横顔には、ピーマンづくりの自信とともに、これまでの苦労が感じられた。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/pm3.jpg" alt="ピーマンの田畑さん3" width="178" height="128" class="info-pimg" />1番若いが、農業歴20年という呉屋さんは、経験に裏打ちされた知識が豊富だ。<br />
「野菜づくりは、格闘技みたいなもの。<br />
毎日、違う敵が突拍子もなく現れ、なにがなんでも相手をやっつけなければならないんですよ」<br />
害虫発生などピーマンの細かい変化に対する呉屋さんの眼差しは鋭い。<br />
新田さんは、新兵器を使った消毒を一手に引き受けている。<br />
消毒は面倒だが重要な作業。<br />
幸い消毒作業に協力な助っ人が1人、3年前に現れた。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/pm5.jpg" alt="ピーマンの田畑さん4" width="121" height="176" class="info-pimg2" />その御仁の名は、「スパーシャトル スプレイカ」。<br />
県内1台の高性能ロボットだ。<br />
新田さんは、とくにこのロボットと仲がよく一緒にハウスのなかを駆け回る。<br />
一緒に作業をする姿はまるで相棒を引き連れているよう。<br />
実際、スプレイカ君、人（新田さん？）が近くにいないと音をたててぐずるのだという。<br />ピーマンづくりで3人がやることはいろいろあるが、当面の大敵は毎年姿を現す害虫たち。<br />
害虫が付着した症状にはプロの目を光らす。<br />
朝、農園にくると、まず1800坪に栽培してあるピーマンの実や枝葉の表情に眼差しをむけ、1時間ほどかけてじっくり観察する。<br />
特には2時間かけての作業となる事も。<br />
ピーマンになにか異変があると、すぐに3人で会議を持ち対策を講じる。<br />
それでも解決がつかない場合は、ＪＡの営農指導員や県の普及員などに相談し、ネットワークをフルに活用する。</p>

<p><span class="info-sp">「ピーマンづくりは、まるでドラマみたいだよ」</span><br />
日々、いろんなシーンでことこまかにピーマンづくりにこだわる3人が口をそろえた。<br />
さらに、ピーマンづくりには温度と湿度の微妙な調整が求められる。<br />
沖縄の強すぎる暑さや湿気には必要以上に気をつかう。<br />
施肥にも特別栽培法などが施行され、細かい配慮が求められている。<br />
消毒も重要な作業だ。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/pm4.jpg" alt="ピーマンの田畑さん5" width="135" height="120" class="info-pimg" />この農園は苦しさも楽しさも一緒に分かち合う、3人の男たちのドラマの舞台。<br />
それぞれの配役をきちっとこなして、実りのある農園づくりに今後も頑張りたいと3人が目を輝かせた。<br />
「言葉は少ないんですが、心がよく通じるんですわ」<br />
沖縄の地にすっかり溶け込んだ田畑さんが、ウチナーンチュ以上の陽に焼けた顔で微笑んだ。</p>]]></description>
         <link>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/001/tabata.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">001)野菜</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 09 Jul 2007 16:03:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>比嘉　博光</title>
         <description><![CDATA[<div class="info_cel3">ゴーヤーづくりに精魂傾けて。</div>
<p><span class="info-sp">1本ずつ収穫する気分は最高さあ。</span><br />
雨の日も風の日も植え付けや収穫日などを克明にノートをとる比嘉さん。ファイトの塊の達人は、今日もおいしいゴーヤーづくりに余念がない。時々、息子たちにも600坪の畑を手伝ってもらうが、ほとんどひとりでこなす張り切り達人だ。</p>

<h4 class="info-t">これぐらいの畑、ひとりでやらんと、どーするね～。</h4>
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/goya-higa1.jpg" alt="ゴーヤーの比嘉さん" width="147" height="150" class="info-pimg" /><p>その日の出荷分である17ケースの青々としたゴーヤーを荷台に積み、背筋をピンと伸ばして軽トラで現れたのは比嘉博光さん（71歳）。<br />
お年の割には実にエネルギッシュで、「これでもね、この辺じゃ私はまだ若い方だよ」と笑顔で話す。<br />
久志区では今、農業を営む若い人が減っているなか、比嘉さんの畑近くでは、ほか4人のシルバー年代が元気に、懸命にゴーヤーやパインづくりに励んでいる。<br />
80歳をトップに、あと70代の農業シルバー戦隊だ。<br />
このなかでは確かに比嘉さんは最も若い人である。<br />
17年前からハウス栽培を始め、インゲンを中心に生産してきたが、この3～4年前からゴーヤー生産に果敢に取り組み始めた。<br />
名護市が2002年5月に、県からゴーヤーの「農林水産戦略品目拠点産地」として認定を受けたことがきっかけである。</p>
<p><span class="info-sp">比嘉さんは、とにかくゴーヤーに研究熱心。</span><br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/goya-higa3.jpg" alt="ゴーヤーの比嘉さん2" width="154" height="119" class="info-pimg2" />日頃の授粉交配のタイミング、ハウスのなかを一定の温度に保つための風通しの工夫、太陽の当たり具合を調整するための葉の摘葉等、おいしいゴーヤーづくりのためには何でもする。<br />
最近は農業用水管の調子が悪いため住宅から1日27回も往復し水を運ぶ頑張りようだ。<br />
インタビュー当日も、営農指導員らに矢継ぎ早に質問を浴びせかける。<br />
比嘉さんはここ10数年、植え付けや収穫などを克明にノートに記している。<br />
去年と収穫の出来、不出来を比較するためだ。<br />
その積み重ねが独特な勘を働かせているようだ。<br />
600坪もの畑をひとりで切り盛りする達人。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/goya-higa2.jpg" alt="ゴーヤーの比嘉さん3" width="125" height="100" class="info-pimg" /><img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/goya-higa4.jpg" alt="ゴーヤーの比嘉さん4" width="133" height="116" class="info-pimg" />「息子さんや孫は手伝わないのですか」の問いに、返ってきた返事は「なんで、これくらいひとりでやらんと、どうするねー」である。<br />
3年前は、9トンもあった収穫がここ数年、半分近くに落ち込んでいるが、比嘉さんはひるむことなくゴーヤーづくりに取り組んでいる。<br />
「1本ずつ収穫する気分は最高さあ」と笑う比嘉さん。<br />
インタビュー終了後、達人はしわが刻まれた頬をゆるめ元気に語ってくれた。<br />
「来年は、10トンは収穫するからまた取材にきてね～」</p>]]></description>
         <link>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/001/higa.html</link>
         <guid>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/001/higa.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">001)野菜</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 29 Jun 2007 12:42:09 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>大城　知幸</title>
         <description><![CDATA[<div class="info_cel3">日本一の、愛情じゃがいも。</div>
<p><span class="info-sp">島の農業は、仲間を置き去りにしない。</span><br />
「明日が早いから…」と言いつつも、夜遅くまで及んだインタビューの翌日は、島で最も忙しい選別が始まる日。達人は、まぎれもなく寡黙な情熱家であった。翌日、早朝から始まった集荷場で目にしたのは、選別機の前で真剣に指示を出す達人の姿であった。</p>

<h4 class="info-t">島のみんなは、家族と同じさあ。心をひとつにつくった、じゃがいもだよ～。</h4>
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/zyaga-o2.jpg" alt="じゃがいもの大城さん" width="147" height="215" class="info-pimg" />
<p>立春の2月4日、暦の上では春のスタート。<br />
那覇より390キロの沖縄最東端の島・北大東へ飛んだ。<br />
日本一早い低農薬の新じゃが産地を支える達人に会うためである。<br />
空港に着いた翌日は、おりしも選別作業の初日。<br />
島で、１番忙しい時期に入る。<br />
この日から島の人たちの緊張の日々が、延々３ヶ月続く。<br />
4～5日に1度、出港する船に遅れることなく、定時・定量の出荷を続けなければならない。<br />
達人も収穫の追い込み中のため、インタビューは急きょ夜に変更。<br />
しかし、とれたてじゃがいもで調理した「煮っころがし」や「ポテトチップ」の試食を兼ねた心あたたまる歓迎パーティに感動。<br />
ほんわりした口当たりと、サクサク感がたまらない。<br />
無口の達人は、料理をほお張りながら、じゃがいもの栽培、島の農業について熱っぽく話してくれた。</p>
<p>大城知幸（おおしろともゆき）さん、49歳。<br />
農業歴25年。<br />
じゃがいもを始めて10年になる。<br />
現在、馬鈴薯部会25名の部会長を務めて3年目。<br />
じゃがいも4,500坪、さとうきび12,000坪、かぼちゃ600坪の畑をもち、じゃがいもは毎年約30トンを生産している。<br />
じゃがいもは、さとうきびとの輪作で、さとうきびに害虫を寄せつけないなど連作障害を防いでいる。<br />
大城さんは、部会のみなさんと地道な生産を続け、３年前には、県知事から沖縄で２号目のエコファーマーにも認定された。<br />
もちろん、第１号は、初代部会長。<br />
今では、部会員全員がエコファーマーの認定を受けている。</p>
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/zyaga-o3.jpg" alt="じゃがいもの大城さん2" width="216" height="150" class="info-pimg2" /><p><span class="info-sp">「栽培で分からないことがあると、とことん追求します。
そうしないと前に進めないんですよ」</span><br />
大城さんは、１日じゅう畑にいる。<br />
畑で現場の作物や土を観察して勉強するのだ。<br />
広大な畑の土壌は、国頭マージ・島尻マージ・赤土（テラロッサ）が分布。<br />
決して一定ではない。<br />
PHの低いところは、タンカル（炭酸カルシウム）という土壌改良剤でPHを上げ、土壌をこまめに改良。<br />
風対策も苗用のさとうきびを周囲に防風壁として植える。<br />
とくに神経をつかうのが、水のこと。<br />
島は、渇水で苦しめられた歴史そのもの。<br />
水道工の経験もある大城さんは、島のみんなと一緒になって、露地では珍しい、畑にチューブを張り巡らす点滴と呼ばれる水やり法で、工夫を凝らしている。<br />
また、「水兼農道」も機能している。<br />
農道を水路にして、島にいくつも設備された貯水池に雨水を流れ込ませるのである。<br />
なんとか空港の滑走路からも、水が流れてくる。<br />
「孤島苦」と闘ってきた島の人たちならではの工夫だ。<br />
島ではみんなが、日々栽培技術を高めることを心がけている。<br />
現場で起った問題は、すぐに電話でお互いに連絡しあう。<br />
そこで、１つひとつ解決していくことで、島の農業を工場させているのだ。</p>
<p><span class="info-sp">「ひとりでも生産が遅れたりすると、島全体の向上にならない。
だから、みんなで一緒の質のいい生産をしていく。
これが島のやり方です」</span><br />
大城さんは、技術や作業の遅れをとる仲間たちを、決して置き去りにしない。<br />
大城さんの人望が厚い理由だ。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/zyaga-o1.jpg" alt="じゃがいもの大城さん3" width="172" height="206" class="info-pimg" />島の半数以上が兼業農家。<br />
人手の足りない家も少なくない。<br />
大城さん自身も力強い助っ人の清子さん（奥さん）と金物店を兼業している。<br />
高校から大学までの３人の子供たちも、すでに島を出た。<br />
「送金がたいへんですよ」と夫婦で屈託なく笑う。<br />
「ほとんど家にはいませんよ。<br />
ほんとに仕事しているのか心配ですよ。あっはは」<br />
冗談まじりに笑顔で話すのは、清子さん。<br />
家にいない理由は、達人の家にはとにかく各農家から電話がかかってくる。<br />
その相談に達人は、島の西や東に駆け巡る。<br />
家にいる暇がないのだ。<br />
達人のじゃがいもへの観察眼や洞察力は、島の人たちの大きな支えになっている。<br />
フィリピンから来た研修生たちも<br />
「りっぱな人。真剣に技術を教えてくれる」<br />
と、達人の人柄に太鼓判を押した。<br />
「島のみんなに利害関係なんてありません。家族みたいなものですよ」<br />
北大東で良質のじゃがいもがつくられるのは、島が家族ぐるみで取り組んでいるからだろう。<br />
３年しか経たないかぼちゃづくりでも、すでに県内トップレベルの反収をあげている。<br />
心をひとつにした、農作物づくりを目指す。<br />
これが島のじゃがいものおいしい理由だ。</p>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">001)野菜</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 29 Jun 2007 12:29:24 +0900</pubDate>
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         <title>石川　政敏</title>
         <description><![CDATA[<div class="info_cel3">電照菊で夢を灯したい</div>
<p><span class="info-sp">自分が苦労した分だけ返ってくるのが、菊栽培の魅力。</span><br />
多くを語らない若き農業人だが、菊生産を中心にした農業の話になると人一倍の夢を語る石川政敏さん。石川という土地が１番好きで、三代続いてきた農業を限りなく愛する好青年だ。若い人たちに農業の魅力をもっと知ってもらって規模拡大につなげたいという。</p>
<h4 class="info-t">話は苦手だけどね、やる気は誰にも負けないよ。</h4>
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/kiku-isikawa2.jpg" alt="電照菊の石川さん" width="191" height="200" class="info-pimg2" /><p>石川バイパスと沖縄自動車道の中に緑豊かな平野が広がる。<br />
なかほどには石川川が流れ、趣のある田原橋がかかる。<br />
うるま市石川伊波田原ののどかな地に広がる4,000坪の菊畑。<br />
ピーク時で1日100ケースを出荷する。<br />
年間にすると5,000ケースの収穫だ。<br />
ここをとりしきるのは日焼けした顔にあご髭がよく似合う石川政敏さん（27歳）。<br />
保育園に通う子どもと奥さんには、笑顔が絶えない良きパパぶりを発揮するという。<br />
父親とスタッフ２人の協力を得て、日々小菊の栽培に余念のない若き達人である。<br />
石川さんは話が苦手であまり多くを語らない。<br />
しかし、菊生産や農業の質問をすると照れながらも真剣に答えてくれる真面目な人柄だ。</p>
<p><span class="info-sp">「夢のある農業を広げたい」</span><br />
実績を積み重ねてきた石川さんの言葉が力強く響いた。<br />
菊栽培にはあまり適するとは言えない国頭マージの土壌だが、石川という土地が好きということと、じいちゃんや父親が守り育ててきた農業で身を立てたいという気持ちが今の自分を支えてきた。<br />
７年前、弱冠20歳でスタートした農業は苦労が絶えず、寝る間も惜しんで働いたという。<br />
<img src="http://www.ja-okinawa-fm.net/img/farm/kiku-isikawa3.jpg" alt="電照菊の石川さん2" width="281" height="150" class="info-pimg" />電気のトラブルが気になって、何度も深夜に畑へ足を運んだことも。<br />
停電、漏電などの心配はいつでもあった。<br />
高速のすぐ近くのため、車両のライト熱が及んでくることも気がきではなかった。<br />
最近、その苦労が実ってようやく安定供給への道が開き始めたという。</p>
<p>有限実行の石川さんはサークル活動も熱心だ。<br />
石川支店青壮年部での先輩との農業問題の意見交換、市の４Hフロンティアクラブでは書記も務める。<br />
この3月、国庫補助事業を導入して待望の平張りハウスを完備。<br />
これで台風対策も万全だ。<br />
作物も電照菊以外にゴーヤー2,000坪、マンゴー350坪を手がけ始めている。<br />
今後は、端境期ターゲットだけの沖縄農業に満足することなく、周年型の安定した農業に規模を拡大したいと石川さんは瞳を輝かせた。</p>]]></description>
         <link>http://www.ja-okinawa-fm.net/farm/003/ishikawa.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">003)その他</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 29 Jun 2007 12:02:46 +0900</pubDate>
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