金城 晃(果物)
金城 晃
糸満市
| 農家歴 | =no date= |
| 栽培面積 | =no date= |
| 栽培品種 | パッションフルーツ |
農業の素晴らしさを、伝えたい。
小さい頃は、家の農業の手伝いが大嫌いなサッカー熱中少年。ところが学校を卒業して外国で農業の勉強をしていくうちに、作物への愛着は人生になくてはならないものになった。皆が幸せになる農業を目指して、若き達人は今日も農園に出かける。
作物が生長していくのを見ていると、時間も忘れるんですよ。

清明入りの頃の4月4日、さまざまな花々が咲き始めるうららかな日、糸満市摩文仁にあるパッションフルーツ園。
園主は、33歳の金城晃さん。
今年でまだ3年にしかならないというのに、600坪の畑で単収2トンの収穫をあげている青年だ。
今後、単収4トンまで引き上げていくのが目標だという。
このパッションフルーツ、南米原産だが、この果物に取り組んだのは、金城さんの特別な思いがあった。
実は、金城さんは、南米ボリビア生まれ、両親ともにウチナーンチュだが、24年前に家族で引き上げてきた。
そのとき、金城さんはまだ6歳、男だけの5人兄弟の次男。
生まれた地ボリビアの果物をなんとか沖縄に根づかせたいという熱意が、パッションフルーツに取り組む直接のきっかけとなった。
「実は、子どものころは農業は好きではありませんでした。
家の手伝いのために大好きなサッカーもできませんでしたからね」
しかし、引き上げ直後から糸満市でマンゴー栽培を始め20数年で1,600坪まで規模を大きくしてきた父親の背中をみているうちに、いつのまにか農林高校・農業大学へ。
両親や親戚からも農業も道を進められていたのだが、反発心もあって一時はガソリンスタンドへ就職。
ところが、やはり農業のことは頭から離れず、青年開発隊のプロジェクトで、ミクロネシアへ。
しかし、そこで自分の農業技術の未熟さを痛感。
次は水耕栽培や有機栽培が盛んなオランダへ。
その経験を経て、沖縄に帰ってからは次第に農業への見方が変った。
時間をみては先進地を見て回り、自分にできる農業プランを考え始めた。
これが、パッションフルーツへの道を開いたという。
「今は、農業が楽しくてしようがない。
20代は数多く海外へ行っていろんなことを、がむしゃらにやってきたけど、30代はじっくり沖縄の地で頑張りたいと思う」
金城さんはあまり多くを語らないが、その穏やかな話ぶりは、真面目な青年そのもの。
パッションフルーツづくりにも、熱心な取り組みがうかがえる。
「パッションフルーツの苗が次第に成長していくのを見ていると、時間も忘れるぐらいです。つるや実をみていると、毎日それぞれに表情が違います。
その成長ぐあいを微妙にキャッチし、土づくり・肥培管理・灌水などで手をかけていく。
この過程が、とても楽しいんですよ」
農業の楽しさを教えてくれたのは、JAおきなわ糸満支店青壮年部の栽培勉強会だった。
技術の勉強もそうだが、先輩たちや仲間に囲まれての絆の深さは、今ではなくてはならない存在だという。
栽培勉強会では、沖縄の先人たちが残してくれた昔ながらの知恵を取り入れている。
月の満ち欠けで成長をうながす月齢管理は、作物を生き物として感じることで、より身近に感じるという。
土づくりでは『土ごと発酵』に取り組んでいる。
土をより自然の状態に近くしていき、土のなかの微生物を栽培の大きな助けにするという、昔ながらの先人たちの技術・知恵をみんなで勉強している。
ちなみに、これでほとんど農薬が必要なくなったという。
今後は、キュウリやゴーヤーにも挑戦していきたいと胸を弾ませる金城さんだ。
「ぼくのつくったパッションフルーツは、酸味・香り・色付ともに最高ですよ。
ぜひ、みなさんで食べて下さいね」
これまで熱心に栽培に取り組んできた自信が金城さんの顔に浮かんだ。
「ぼくの夢は、もっと農業の技術と知識を身につけて、もう1回ミクロネシアに行くこと。
そのとき、20代前半で伝えきれなかった農業の素晴らしさを、現地の人たちに教えにいくんです」
次第に栽培技術に自信をつけてきた金城さんは、静かに笑った。
「それから、ボリビアにも出かけて、技術指導にも行きたいな」
農業を世界のかけ橋にしようと、今や農業熱中青年になった金城さんだ。
●名前の由来は?
「パッション=情熱」のフルーツと思われがちですが、何と花の形が十字架に似ていることから「キリストの受難=パッション」から来ているそうです。意外ですね。
●生活習慣病予防に効果期待
パッションフルーツにはβカロテンが豊富に含まれています。
これは老化防止や視力低下、ガン予防にもいいといわれています。
その他、高血圧や心筋梗塞予防になるというカリウム、血液の流れをよくするナイアシンなども含まれるヘルシーなフルーツです。

