恩納 謙勝(野菜)
恩納 謙勝
うるま市勝連津堅
| 農家歴 | 25年 |
| 栽培面積 | 6000坪 |
| 栽培品種 | ニンジン |
島を支え、島に支えられる。これからもっと頑張らんとね~
もの静かで温和な性格だが、津堅島の過去と未来についての話になると真剣な表情に変る達人。
島の農業後継者が心配だと言いながら、息子は父親の背中を見ながら、
日々ニンジンづくりに汗を流している。
「いつまでもおいしいニンジンづくりができる島にしていきたい」と胸を張る地域のリーダーが、
今回の達人だ。
島のニンジンがおいしいわけを話そうね。
昼が1番短い日となる冬至から3日過ぎたクリスマスの日。
横風も荒ぶ朝の小雨のなか、人気も少ないうるま市平敷屋港にたどり着いた。
出港の準備を整えた定期船は、一路、津堅島へ。
ニンジン拠点産地で知られる津堅島に、押しも押されぬニンジンの達人がいると耳にしたからだ。
しかし、最初に迎えたのは、船の縦揺れ。
たたきつける波でガラス窓がガタガタ音をたてる。
すっかり船酔い気分で着いたのが津堅港。
その足で達人が待つ公民館へ。
そこで含蓄のある話しぶりで船酔いを振り払ってくれたのが、今月登場の達人、恩納謙勝(おんなけんしょう)さん(60歳)だ。
達人は津堅生まれ津堅育ち。
生粋の津堅人だ。
津堅人と言えば漁業で活躍する海の男たちで有名だが、恩納さんが気性の激しい豪快な男という意味ではない。
むしろ、もの静かで穏やかな人柄。
ところが話し出すと、津堅島の農業の歴史、栽培技術、ニンジン生産の専門的な話など、話題にはこと欠かない。
3歳の頃、父を失い、その後ずっと、この島で粘り強く母を助けて農漁業を続けてきたという。
ひしひしと伝わる人間力。
達人は今、津堅島ニンジン部会(47名)の副会長を務めている。
真面目な性格で地域の人々にも信頼は厚い。
あしかけ25年に及ぶ、達人のニンジンづくり。
現在、妻のハツエさんと息子の謙太さんとともに、毎日畑(6000坪)に出ている。
年間40~50トンの生産量をこなす頑張り家族だ。
2、3年内には、島にまだ残る有休地をニンジン畑にし、一畦を一斉堀りできる振動堀取り機を導入して年間60~70トンの増収を見込んでいる。
「津堅島のニンジンがおいしいわけは、いろいろあるよ」
恩納さんは温和な顔をほころばせながら、ニンジンについていろいろ話し始めた。
「まず、島のニンジンがとくに甘いといわれるのは、島尻マージと砂地が適度に混合されて質の高い土壌になっているんだよ。
それに、昔から島は水はけがいいからね」
恩納さんは、津堅島のニンジンが甘い理由をこう説明した。
「それからね、津堅島のニンジンは臭みがないとも言われているけど、それは海に囲まれた島だから、ミネラルが土壌に豊富に含まれているわけさあ」
このミネラルが臭みを防ぎ、栄養価も高くしているというのだ。
しかし、ニンジンづくりの基本はなんと言っても、土づくりにあると達人は強調する。
堆肥を中心に鶏糞を入れていう根気のいる作業も忘れない。
連作障害が起らないようにソルゴーやクロタラリアの播種にも気を配る。
島の土壌が、いかにいいといっても日々の努力を惜しまないのが達人たるゆえんである。
これまで自分が頑張ってこれたのは、島に支えられ、島を離れてきたことを実感してきたからだと、達人が話してくれた。
達人の話によれば、ここ津堅島は紙の島・久高島と共に王府時代につけられ、両島には同じ地名も多いという。
ちなみに久高島のことを母島、津堅島のことを父島と古くから呼んでいるらしい。
二つの島が王府に注目されていたことは間違いないようだ。
とくに津堅島は農産物への期待が大きく、往時の三司官である蔡温も視察に訪れた記憶がある。
また、復帰前まで津堅島は、米軍指定の野菜供給地であった。
当時は大根、スイカ、メロンの生産が有名であったという。
そう言えば、チキンデークニという呼び名を、今でも聞くことがある。
「土がいいから、ニンジンづくりにとくに苦労はしないけど、あえて心配の種を言えば、台風ばっかりは命を縮めるよ。それに、島の農業の老齢化が進んでいることだね」
さすがに、島の地形が平地でできているだけに台風ばかりは油断ならないという。
ニンジン部会では防風林対策も以前から進められているという。
後継者が危ぶまれる高齢化については、幸い少しずつUターンも増えており、自分たちニンジン部会も頑張らねばと、目を輝かせ真剣な表情をみせた。
「島の利益をどうしていくか。これからもっと島のために頑張らんとね~」
達人は温和な顔に厳しさを感じさせながらも、やさしく微笑んでくれた。

